学生マジシャンに読んで欲しいこの10冊、最後の1冊です。
9冊目から、実に半年経っていますね。悩んだ末、この本をオススメしたいと思います。
浅草最終出口 浅草芸人・深見千三郎伝
伊藤精介 著
晶文社
¥2,100
僕には、最高に大好きなパフォーマーが3人います。
マジシャンの名前を言い出すとキリがないので、マジシャンを除いて3人です。
パントマイムのマルセル・マルソー氏
タップダンスのフレッド・アステア氏
そして本書で紹介される、浅草芸人の深見千三郎氏です。
と言っても、この3人のパフォーマンスを生で見たことはもちろんありません。
しかし、記録映像などを含めても、まったくそのパフォーマンスを見たことがないのは、この3人の中で深見千三郎氏だけなのです。
もともと深見千三郎氏自身が、テレビに出演することを拒否して最後まで「現場」でパフォーマンスをしてきた人なので、映像がほぼ残っていないのです。
浅草では伝説の芸人とも言われているそうですが、なぜ見たこともないパフォーマーにそんな魅力を感じるのか、自分でも不思議です。
浅草の劇場で修行した芸人が、声をそろえて「師匠」と呼ぶ人。
多くの弟子が語る深見千三郎氏の姿を知れば知るほど、この人が何を考え、どんなパフォーマンスをし、そしてなぜ伝説の人となったのか、興味が沸いてきます。
本書の主人公である著者も、同じことを考えていました。そして深見千三郎という人物の魅力に取り付かれ、浅草でその軌跡をどんどん紐解いて行きます。
ノンフィクションのストーリーの中で深見千三郎氏の姿がどんどん明らかになり、語られていくという構成です。
その中で、そもそもパフォーマンスとは何なのか、エンターテイメントとは何なのかという漠然とした問の答えの一端が垣間見られます。
あとは実際に本書を読んでみて、その軌跡を追ってみて欲しいのですが、私が感じたことを少しだけ書きたいと思います。
要するに深見千三郎という人は、本物の芸にこだわり、常に「本物」を追い続けた人なのです。
深見千三郎氏の最も有名とされる芸「監督のコント」は、次のようなものです。
舞台上で、有名な芝居の一部分が始まる。しかし役者が、その台詞回しを大幅に間違える。そこに「ストップ!」の声がかかり、舞台監督の格好をした深見氏が登場する。
監督は役者に指示を与えるが、役者はどうにも上手くできない。役者と監督の言い合いが繰り広げられる。
そして最後に監督が「こうやるんだ、よく見とけ!」と言い、先の芝居の一節を完璧に演じあげる。幕。
この内容について著者は
『最後監督がお手本としてうたい上げる忠太郎の台詞の部分も(略)はずしてしまったほうが面白いと思うのだけれども、』
と言っています。
コメディとしては確かにその方が、笑いは取れるのかもしれません。
しかし、僕はここに深見千三郎氏のこだわりを感じるのです。
『最後監督がお手本としてうたい上げる忠太郎の台詞の部分も(略)はずしてしまったほうが面白いと思うのだけれども、』
と言っています。
コメディとしては確かにその方が、笑いは取れるのかもしれません。
しかし、僕はここに深見千三郎氏のこだわりを感じるのです。
つまりこの「監督のコント」という、芝居をモチーフにしたコメディを行う上で、深見氏にとっては「本物の芝居」を除け者にすることは許されなかったのだと思うのです。芝居の一節を最後に完璧に演じあげることが、芝居に対する敬意であり、芝居というモチーフをコメディへと拝借したことに対する感謝なのだと感じます。最後まで「芝居が下手であること・上手くいかないこと」で笑いを取るコメディは、深見氏のポリシーに反していたのでしょう。
若いマジシャンの中には、なんとなく別のエンターテイメントを手品の中に取り入れたり、また手品を別のエンターテイメントの中に取り入れたりという人も多く見られます。
しかしそこに「本物」を除け者にしない精神は、すごく重要だと僕は思っています。
決して、自分のパフォーマンスに取り入れる全てのエンターテイメントに熟達しなくてはならないと言いたいワケでは有りません。ただ、「本物」への敬意を忘れてはいけないと思っているのです。
これ以上僕の思想をつらつら書いても、言葉足らずになると思います。
僕のような青二才の言葉ではなく、本書の中で、深見千三郎という伝説の芸人の「本物へのこだわり」を感じ取って頂ければ幸いです。
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