2013年9月12日木曜日

戯曲史と手品


旧ブログの戯曲史の記事を、備忘録も兼ねて掲載です。長文です。




最近、西日本の学生マジック周辺で手品に演出を付ける例をちらほら目にします。演技1つに演出を付けることもあれば、マジックショー自体を1つの演出のもとで行うものもあります。

今までは普通に発表会としてマジックショーをしていた団体が演出を付けていてビックリしたりもします。

そのきっかけとして、学生団体で、いつ、誰が、なぜ、そんなことを始めたのかを調べると、なかなか面白いのですが、今回はそういう話ではないのです。

手品に演出を付けるに当たって、そのベースにある考え方を整理して行こうと思います。

ですが、僕が思ったことを、ただ思いつくままにつらつらと語っていくつもりはありません。もちろん僕なりの考察なんかはして行くのですが、この記事、需要があるの?ってぐらい、ガチガチに頭でっかちにいこうと思います。

相当堅苦しい話になると思いますが、たまにはこういう記事も良いかな、とか思ってます。



ドルーテンによる脚本の定義


戯曲・脚本について「脚本とは何か」に初めて言及したのはディドロ(Denis Diderot,1713-1784,フランス)です。彼は「ドラマ」という言葉を創造したことから戯曲の創始者と呼ばれているのですが、実際彼の戯曲は評価されず失敗とされこととなりました。

その後「脚本とは何か」を明確に定義したのがドルーテン(John Van Druten,1901-1957,イギリス-アメリカ)です。ドルーテンによれば、脚本は小説と違って「テーマ(主題)」「プロット(筋)」「ストーリー(物語)」「ドラマツルギー(劇的性)」の4つの要素を持っている必要があるとされています。

「テーマ」はその脚本の本質的な部分であり、脚本という表現方法で何を表現したいかという内容にあたるものです。

「プロット」と「ストーリー」は混同しやすいのですが、明確に異なるものなので注意が必要です。「プロット」はその作品の中で何がどうなるかといった筋書きにあたるもので、何が原因でどういったことが起きるかという、因果関係を明確に述べるものです。因果関係が破綻していると、「プロットに穴がある」と考えられてしまいます。結果を誘引した原因について、それが話の後の方から分かっても、プロットとしては成立しています。

それに対して「ストーリー」は、脚本の時系列に沿った筋書きのことです。何かが起きたとき、その原因が徐々に明らかになっていく流れはストーリーです。その流れが曖昧で原因に辿りつけなかったり、登場人物のとる行動が明らかにおかしかったりするような脚本であれば、それは「ストーリーに穴がある」というふうに言われます。

「ドラマツルギー」は、脚本が独特に持つ考え方で、何をもってその脚本がドラマチック(劇的)であるかを司る部分である。脚本を閉じた1つの作品としてではなく、流れのあるものとして読み手や聞き手が劇的に感じることの出来る要素をドラマツルギーと言います。 


手品における脚本の概念


マジックショーを演出する上で何らかの脚本を用意する際、たとえそれが明文化されていなくても「プロット」と「ストーリー」は必要だと考えられます。それは単純に言えば「マジックショーだから、パフォーマーがマジックを演じる」というプロットのもとで、「今からマジックショーが始まります。まず最初のパフォーマーが演技をします。」というストーリーでも良いです。しかしながら、この段階でプロットが曖昧だったりストーリーが分かりにくかったりする場合もあります。例えば演者の中にジャグラーやバルーンアーティストが混じっていたり、スクリーンを用いてクロースアップマジックを演じるシーンが有ったりといった場合です。ジャグリングを行う場面があれば「マジックショーだから」というプロットが破綻しています。「マジックショー」ではなく「総合エンターテイメントショー」であるとプロットを組み立てるのであれば、お客さんがそれと分かるようなストーリーを構築して伝えなければなりません。

また、演目を「マジック」に限定するとしても、そもそも「マジックとは何か」という部分で注意が必要となります。例えば、マジックとは「目の前で(肉眼で)不可能な出来事を体験させること」だと定義するとなれば、スクリーンを用いたクロースアップマジックは場合によってはマジックではなくなってしまいます。こういった語句の定義はあえて曖昧にしておけば、お客さんの認識から大きく外れることさえしなければプロットは破綻しにくいです。しかしながら劇中で「これから皆さんの”目の前で実際に”、不思議な出来事をお見せしましょう!」などと言葉を定義してしまうようなストーリーを組むと、プロットが破綻してしまうことがあります。プロットが破綻したり、プロットをストーリーでちゃんと伝えられなかったりすると、お客さんが「これから何を見るのか」「今、何を見ているのか」といったことが分からなくなってしまいます。したがって、マジックショーの脚本を構成する上で「プロット」と「ストーリー」は必要であると考えられます。

「ドラマツルギー」については、マジックの現象自体が非常に劇的であるためそんなに意識しなくても良いかもしれません。もちろんストーリー仕立てのマジックショーを行うのであれば、その物語の中でドラマツルギーはいくらか必要となってきます。物語にドラマツルギーがなければ、そのストーリーが非常に幼稚に見えてしまい、演出として良いとは言えません。物語にドラマツルギーが盛り込めないのであれば、素直に発表会か、あるいはボードビル形式にしてしまった方が無難でしょう。なお、ストーリーに盛り込まれたドラマツルギーが、個々の演技が持つマジックのドラマツルギーをあまり邪魔しないほうが良いと考えています。あくまで「マジックショーの演出」であり、主役はマジックであることから、他の部分でマジックの持つドラマツルギーを薄れさせてしまうと非常にもったいないと思うのです。

マジックの現象のドラマツルギーを引き立てるためには、個々の演技自体の演出にも注意する必要があります。単に色々なものがたくさん出てくるだけの演技では、あまり劇的とは言えません。現象の持つ意味や、現象が起こる不可能性を充分見せられる演技を行えば、非常に劇的な演技にできると思います。

「テーマ」に関しては、マジックショーにおいて必須とは言えないでしょう。マジックを1つの表現活動や芸術と捉えているのであれば不可欠な要素かも知れませんが、エンターテイメントであると捉えていれば、ショーのテーマにあたる部分は原則として「お客さんに楽しんでもらうこと」であって、表現する主題を別に設定する必要はないと考えられます。 


新古典主義からロマン主義


ここからいよいよ、戯曲の歴史を俯瞰します。

戯曲の歴史の中でも古代劇や教典劇について特に述べる必要は無いだと思います。というのも、さすがに現代における演劇の形とも、戯曲というものの舞台全般における位置づけもかなり異なっていると思えるからです。なのでこのシリーズでは、ルネサンス以降の演劇について主に述べていくつもりです。

ルネサンス期から17世紀に代表される戯曲を見ると、古典劇を意識した「悲劇」と「喜劇」が主たる作品となっています。古典劇とは、ソフォクレスによるオイディプス王に代表されるギリシア悲劇や、プラウトゥスやテレンティウスによる古代ローマ演劇のようなものを狭義には指し、詩学的な位置づけで演じられていた演劇のことです。とは言え、この説明はあまりにもアバウトで、古典劇のキーワードとなる「カタルシス」などに対してもっと詳しい解釈が必要となるのですが、今回の話の本質ではないので省きます。

17世紀の古典劇を意識機したこの流れは、17世紀が時代として古典を復古する風潮があったことが大きな原因だと考えられます。ルネサンス期からしばらく続いたこの演劇の流れを総称して新古典主義と呼ぶことがあります。新古典主義を代表する作家というと、喜劇であればモリエール(Moliere,1622-1673,フランス)、悲劇であればシェイクスピア(William Shakespeare,1564-1616,イギリス)が挙げられます。もっとも、シェイクスピアのスタイルは新古典主義の中でも非常に異色であり、シェイクスピアをもってその時代の代表とすることには違和感を生じるかも知れません。この話も突き詰めるとややこしくなるので、今は深く触れないことにします。

18世紀には新古典主義から、ロマン主義へと時代が移っていきます。ロマン主義とは人間個人の感情や夢、愛といった抽象的なものを表現することに主軸を置いた考え方であり、新古典主義に相対する概念として発展を始めました。ロマン主義文学の泰斗であるバルザック(Honore de Balzac,1799-1850,フランス)が死去するまでこの流れは続きました。ロマン主義的な考え方を「ロマンチック」と表現するが、ここには人間の恨みや苦難といったものも含まれるため、日本語としてのロマンチックとは少しニュアンスが異なります。ロマン主義は19世紀になると自然主義の流れに押され一旦演劇の主流からは消えるのですが、その後20世紀に象徴主義演劇を構築する要素として重要となってきます。

とりあえずここまでで、「古典演劇」の話に始まり、近代戯曲史のさわりとしての「ルネサンス」から、知識としての「新古典主義」「ロマン主義」と列挙しながら時代を俯瞰しました。

続いてその次の流れである自然主義から、現代演劇に関わる象徴主義まで詳しく掘り下げて話したいと思います。


近代リアリズムと自然主義


さて、バルザックの晩年から次の大きな流れとなる自然主義が戯曲史の主役に上がるまでの間、演劇史では近代演劇の派生とも言える大きな出来事が起きていました。その発端を担ったのがイプセン(Henrik Johan Ibsen, ノルウェー, 1828-1906)です。イプセンの演劇は近代リアリズムと呼ばれる、リアルな現実を描く考え方が採用されていました。それはときに現代社会への風刺であり、社会への幻想を破るための皮肉として思想を表現した演劇でした。例えばイプセンの有名な作品である「人形の家」は、幻想的に捉えられていた女性像をリアルに風刺し、女性の権利を主張する戯曲として仕上げられ、近代的な女性運動を引き起こす要因となりました。このように、それまでのロマン主義で表現されていたような人間の抽象的な部分をロマンチックに表現するのではなく、現代社会にリアルに切り込む近代リアリズム演劇を創造したことから、イプセンは近代演劇の父と言われています。

バルザックの死後、イプセンによる近代リアリズムの創造を経て、19世紀を代表する戯曲の思想は自然主義となりました。これはゾラ(Emile Francois Zola,1840-1902,フランス)によって提唱された考え方であり、その場にあるものをそのまま写実的に表現するという考え方です。自然主義の考え方では、人間個人の感情は表現の中でそれぞれが感じていることであり、本質的なものではないとされます。使われる大道具や小道具もそれそのものを模したものを用い、抽象舞台という考え方はありません。物語も概ね時間経過に沿った時系列で進み、回想場面や時間の飛躍はほとんど用いられません。この考え方は20世紀にメイエルホリド(Vsevolod Emili'evich Mejerchol'd,1874-1940,ロシア)による演劇革命が行われるまで主流となって続きました。

さて、近代演劇を引き継いだ小さな流れとして、ブレヒト(Bertolt Brecht, ドイツ, 1898-1956)による叙事的演劇があります。自然主義演劇のように出来事を時系列にそって演じていくのですが、そこにドラマチックな出来事はあえて起こりません。例えばピンチの場面でタイミング良くヒーローが登場するような、そんな都合よくストーリーが展開しないのです。叙事的演劇がこの後の象徴主義演劇や不条理劇といった現代演劇に与えた影響は決して無視できないのですが、ブレヒトについてこれ以上言及すると話が肥大化してしまうため紹介に留めることとします。


モレアス以降の象徴主義


19世紀末から20世紀に入ると、演劇の主流は自然主義から象徴主義へと変わりました。その口火を切ったのはモレアス(Jean Moreas,1856-1910,ギリシア)ですが、演劇として象徴主義を方向付けたのはメイエルホリドとスタニスラフスキー(Konstantin Stanislavski,1863-1938,ロシア)だと言えます。

メイエルホリドは、演劇を構成する上で写実的な道具は舞台上に必要ないとし、演劇のほとんど全てが俳優によって成り立つという象徴主義演劇を行ないました。スタニスラフスキーは、俳優中心の演劇の中で役者はいかにあるべきかという方向性を打ち出し、現在ではスタニスラフスキーシステムと言われる考え方を記しました。現代演劇における「役を降ろす」といった考え方はスタニスラフスキーの流れを汲んでいると言えます。

戯曲についても写実的に事実を表現した自然主義の流れから脱し、象徴主義の流れが顕著に現れました。特に、ベケット(Samuel Beckett,1906-1989,アイルランド)やピンター(Harold Pinter,1930-2008,イギリス)による不条理劇が台頭したのは大きな変化です。

不条理劇は、人間は本来不条理なものであるという考え方のもと、物語の因果性や劇的性の構築を無視した展開がなされる劇を指します。従来の戯曲は物語の動きによって作品の主題を表現していましたが、動きの殆ど無い不条理劇は象徴主義文学の流れを汲んだ表現であると言えます。それゆえ象徴主義演劇における戯曲では、演出家や役者が脚本におけるバックグラウンドや登場人物の心情などを脚本から解釈して、主題を読み解く必要のある脚本が多く、またそのほとんどを役者の演技によって表現するようなものが多く見られます。

象徴主義と不条理劇の間の時代に、前回話題になったブレヒトによる叙事的演劇があり、それらが象徴主義演劇や不条理劇に与えた影響は決して無視できないということを改めて紹介しておきます。

とりあえずこれで、現代演劇までの戯曲史を時系列に沿って追うことができました。


マジックショーにおける脚本


マジックショーの脚本を考える上で、新古典主義の演劇から取り入れることは殆ど無いでしょう。こじつけることはいくらでも出来ると思うのですが、結局本質的ではありません。
ロマン主義演劇における本来の意味での「ロマンチック」さはマジックショーに取り入れようとすると非常に難しい要素となってきます。主題が本質的な要素とならないマジックショーでは、ロマンチックさも物語を構成する1つの題材に過ぎず、本質的な部分にはなりにくいでしょう。

さて、マジックショーにおける脚本・演出の考え方は、概ね自然主義の考え方に従うことが妥当であると私は考えています。というのもマジックは、魔法のように不可能な現象を実際に目の前で起こして見せることによって成り立つ演芸であり、手法はどうあれ現象を写実的に表現しなくてはいけません。

抽象的・象徴的に「ボールが増加したこと」や「それに伴う登場人物の心情の変化」を表現したとして、役者がどんなに上手くそれを演じたとしても、実際に目の前でその現象を見せなければマジックとしては成立しません。またストーリー仕立てのマジックショーを行うとしても、表現の主となる部分はマジックによる「目の前で何が起きているか」という現象の部分であり、またそれを実際に目の前で起こしてみせることです。そしてそれに伴う登場人物の心情変化やそれらを取り巻く環境の変化はアクセントに過ぎません。もしもそういった心情変化などを主たる要素とし、マジックの部分をアクセントとしてしまえば、そもそもそれがマジックショーであるかどうかという部分から疑問となってきます。そういった意味で、マジックショーにおける脚本・演出の構成方法は概ね自然主義的な考え方に従うと私は考えています。

では、象徴主義からの現代演劇はというと、マジックショーにおいてどういう位置づけになるのでしょうか。


現代演劇とマジックショー


現代演劇の主流となった象徴主義の考え方は、マジックショーの演出には合いにくいと私は考ています。前回も述べたように、マジックはお客さんの目の前で不可思議な事実を見せることで成立するものです。ボールが突然2つに分裂する様子を役者の演技やマイムによって抽象的に表現し、それに伴う役者の感情の変化を完璧に演じたとしても、それはマジックとして成立しません。

そもそも、マジックにおけるムーブを役を降ろした状態で行うことは非常に難しいと考えられるでしょう。それは、感情の動きとしてはお客さんに見えているような、現象の部分に伴った表現をしなくてはならない一方で、実際の役者の動きとしてはシークレットムーブを行わなくてはならないからです。

こういった考え方は実際に役者が演技を行う際にも、登場人物を演じながら役者として脚本を追わなくてはならない、いわゆる人格の分離として必要とされますが、マジックではその分離がさらに顕著に必要とされてきます。そもそも演劇における役の降ろし方とは異なった表現を行わなくてはならないのかもしれません。

マジックの演技パートとそれ以外のストーリー部分で表現方法を分離し、マジックは写実的に事実を見せ、ストーリー部分で象徴主義的な表現を行うことは充分に考えられます。しかし、その場合は全体を通して表現が統一されず、取り留めのない演出になってしまわないよう注意が必要です。そういった面からも、象徴主義的な考え方はマジックショーにはあまり適さないと私は考えています。

というわけで、結論としては、マジックにショーにおける脚本は現代演劇における戯曲の考え方とはまた異なったものであり、どちらかというと自然主義的な捉え方をする方が適しているのではないかと私は考えました。

これで戯曲に関する歴史の俯瞰とその考察を終わります。


~追記~

改めて調べてみると、手品の歴史の中でも「ペッパーズ・ゴースト(ダークス幻灯機を使った舞台上への幽霊の投影)」「コルシカン・トラップ(芝居”コルシカの兄弟”で1人の役者が双子を演じるために用いられた舞台上の落とし穴)」なんかは、まさにバルザックのロマン主義からゾラの自然主義に移り変わる時期での発明なんだなあと、再確認しました。

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