2013年11月1日金曜日

即興劇の話



手品と即興劇って、なんとなく漠然とした関連がありそうな気がします。



手品と即興劇にはきっと関係がある


と言うのも、クロースアップやサロンでの手品をしていると、即興で何かをしなくてはいけない場面というのは大いにやってくるからです。
お客さんからの思いも寄らない一言に対応したり、予想外の反応を上手く捌いたり。万が一、手品が失敗したときのフォローなんかにも即興の要素が入ってくると思います。

しかし、そういった理由からマジシャンが「手品のために即興劇を勉強しよう」という考え方は非常に危険な気がしています。
なぜなら即興劇にも色々あり「最近は即興劇の練習をしている」と言っても、一体どのスタイルの即興劇を練習しているのか自分でもはっきりしないケースが有り得るからです。
そんなぼやけた意識のまま即興劇を学んでしまっても、手品に活きるとは限りません。手品に活きる即興の力を付けるためには、狙いを定めて的確な即興劇を学ぶ必要があると思います。
では、どのような即興劇に狙いを定めれば良いのでしょうか?

まず、即興劇は大きく分けて「エチュード」と「インプロビゼーション」に分かれます。


エチュード


エチュードとは、キャラクターとちょっとした設定が決まっている状態で劇が始まるようなシステムの即興劇です。基本的には役者にいかに役が降りているかがすべてを司り、現代演劇として、日常のリアルを切り取った一場面を劇の上に作り出すということを目的とした公演や訓練です。
有名なプロットとして、「いすはしエチュード」という練習課題が有ります。「いす」というと、2人のキャラクターのうち1人が椅子に座っています。もう1人は、なんとかしてその椅子に座ろうと、相手役にどいて貰えるよう説得します。ここに、ちょっとしたキャラクターを付加して行うのが「いすエチュード」です。

例えば電車の中のシチュエーションとして、椅子に座っているのが「部活帰りの高校生」で、疲れてるから座りたい。一方説得するのが「頑固なおじいちゃん」で、若者は年寄りに席を譲るものだという建前をぶつけてくる、でも実際は凄く健康。などといったプロットで5分間などと時間を区切り、スタートするのです。
制限時間内にどいて貰えたら勝ちとかそういうゲームではなく、お互いの役が持っている思いを必死で伝え合うというのが演劇の練習になります。結末としてどうなったら終わりとか、どういうオチが付くとかは決まっていません。結末のない演劇ですから、やろうと思えばどんどん話が膨らんでしまうので、時間制限は便宜上のものです。

「はしエチュード」は、「いすエチュード」の仲間で、一本橋の両側から人が歩いてきて真ん中付近で対面し、お互いの役が向こうに渡りたい理由を説明して相手に退いてもらう、というものです。結末は決まってませんから、最後まで真ん中で言い合ったり、どちらかが納得して退いたり、はたまたどちらかが橋の真ん中から飛び降りてしまうかもしれません。そうやって感情をぶつけ合い、役を降ろす練習をするのがエチュードです。


インプロビゼーション


一方、インプロビゼーションはある程度のストーリーが決まった即興劇です。結末が決まってるとまでは言いませんが、キャラクターとそれなりの筋書きに沿って話を進行していく上で、役同士のリアルなやりとりの中で生まれた面白さを出していきます。

例えば「桃太郎」を題材にインプロビゼーションを行うのであれば、「桃から生まれた青年がお供を連れて鬼退治に行く」というプロットは前提として、細かい部分における役同士やりとりが即興的になります。

一方これが「桃太郎のエチュード」だとすると、桃太郎、犬、猿、キジ、鬼あたりのキャラクターを設定しておき、自由にやりとりを行います。インプロビゼーションと違い、鬼の意見を聞いた猿が共感して寝返るかもしれないですし、桃太郎が鬼退治をやめてしまう可能性もあります。収拾がつかなくなる気がしますが、エチュードの場合は役がちゃんと降りていて、リアルが劇の上に再現されていれば収拾がつかなくてもOKなのです。

インプロビゼーションは、ちゃんと鬼退治をします。これが、インプロビゼーションとエチュードの違いです。


手品にはインプロビゼーションが適切


即興劇という言い方だと、このどちらも指してしまう可能性を持っています。即興劇の中で特に、手品に活かすという前提を考えれば、僕はインプロビゼーションを練習するべきだと思います。手品における即興性とは、「最終的に手品を成功させる」というプロットの元で展開される即興だと考えられるからです。

例えばひとつの手品の中で、お客さんとマジシャンという役のやりとりの結果、マジシャンが手品をやめてしまっては変です。これを手品における即興性と呼ぶのはなんだかおかしいでしょう。でも、エチュードってそういうことです。エチュードを手品における即興性として採用すると、そんな結末を(演劇的な意味で)OKと考えてしまいます。
やはり手品は「プロット有りき」で、成功する結末に向けて進むべきだと考えています。なので、もしも手品に即興性を求めるなら、エチュードよりインプロビゼーションが適しているのではないでしょうか。


実はインプロビゼーションにも古典的な2つの流派があるのですが、長文になってきたのでそれはまた別の機会で。

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